2016年12月2日金曜日

TERRAIN VAGUE(テラン・ヴァーグ)vol.48 申年の猿企画 その5 『さるのかみ』能楽師安田登さん

TERRAIN VAGUE(テラン・ヴァーグ)vol.48

テーマ:申年の猿企画 その5 『さるのかみ』能楽師安田登さん
日時:2016年12月2日(金) 19時から21時
出演:安田登(能楽師ワキ方下掛宝生流)
場所:東京都千代田区西神田2-4-1 東方学会本館三階33-2号室 温室
地図 ※会場はイベント当日以外は一般に開放していませんので、ご注意ください。
料金:3000円(予約制/当日清算) 
お問い合わせ:こちらのフォームからお問い合わせください。
         フォームの「本文」に「TERRAIN VAGUE(テラン・ヴァーグ) vol.48参加希望」
           とご記入ください。
※席に限りがありますので、事前にお申し込みください。

2016申年企画「申年に猿のこと」

申年の2016年も押し迫ってまいりました。
今年の初めを日吉神社で迎えふと思い立って始めた申年の猿企画。
これまで講師の方々のご協力で下記の連続講座を開催してきました。


  • 2月 緑蔭幻想詞華集(アンソロジー)with 東雅夫さん   
  • 4月 TERRAIN VAGUE 生物多様性と猿の勝手 with坂田昌子さん
  • 8月 TERRAIN VAGUE vol.40 縁起物!申年の梅〜赤い花と食べ物〜with 料理山研究所/山崎志保さん
  • 10月 TERRAIN VAGUE vol.45 月待ちと庚申待ち ミザルイワザルキカザル with LUNAWORKS 高月美樹さん

 
東雅夫さんとの「緑蔭幻想詞華集」を皮切りに始まったこの企画。幻想文学、環境問題、赤い縁起物、庚申待ちという行事のことなど、いずれも古層から未来を照射する内容だったと思います。そして最終回は能楽師の安田登さんをお迎えいたします。安田登さんとは松岡正剛さんに機会をいただき、「型の自由」をまざまざと実感させてくださった方。それは活け花とも通じ、「めぐり花」でも度々お力添えを頂いてきました。



(写真はいずれもナカサアンドパートナーズさん;2012年の「オカムラ スペースデザイン”R”」でのインスタレーションの中で「死者の書」と「夢十夜」の朗誦をしていただきました)

TERRAIN VAGUE vol.49  12月2日(金)
「さるのかみ」 安田登さん(能楽師ワキ方下掛宝生流)

さるのかみは様々です。例えば夔(き)は様々な伝説を持つ神の名です。山梨岡神社に祀られているその姿は一本足の異形です。夔は古代中国の地理書「山海経」に登場します。〈海から突き出ること7千里の頂上に獣がいる。その姿は牛のようで体は蒼く、角はなく1本足で、水に出入りする時には必ず風雨を伴う。その光は日月のようで、声は雷のようである。その名はキ〉とあります。時と場所を移し、伝説は敷衍され、新たな物語を次々と生んできたようです。甲骨文字の夔は、さるの形で、一本足。お能の源流である申楽とも関係があるのではないかといいます。また、猿と名のつく神々は、山の神とされたり芸能の神とされたりしますが、道祖神的な役割も担います。それは旅の水先案内をしてくれるからでしょうか。不思議な「さるのかみ」。さらに、世阿弥の「時分の花」「妙・花・面白」「秘すれば花」のことなど伺ってみたいと思っています。
 
【プロフィール】
安田登(やすだ・のぼる/能楽師ワキ方下掛宝生流)
Rolf Institute公認ロルファー。平城遷都1300年「日本と東アジアの未来を考える委員会(故・平山郁夫委員長)」企画委員。東京を中心に舞台を勤めるほか、海外公演も行う。『論語』を学ぶ寺子屋「遊学塾」を主宰し、東京をはじめ全国で出張寺子屋を行う。また能のメソッドを使った作品の創作、演出、出演も行う。「間(平城遷都1300年記念グランドフォーラム)」、『水の夢(御茶ノ水WATERRASのこけら落し公演)』など。なお、シュメール語と日本語による最新作『イナンナの冥界下り』はアーツカウンシル東京の助成でパリ、ロンドン公演を行う予定。著書『異界を旅する能(ちくま文庫)』、『あわいの力(ミシマ社)』、『イナンナの冥界下り(ミシマ社))』、『身体感覚で『論語』を読みなおす。(春秋社)』など。また、かつては『LightWave 3Dキャラクターアニメーション入門(アスペクト)』などの3DCGやゲームの攻略本、インターネット関連書籍なども執筆し、プレイステーションのゲームの制作にも携わる。

塚田が以前アカデミーヒルズでの公演の際に寄せた文章↓
「能」は自由だ。
そう感じさせたのは、能楽師である安田登氏の『夢十夜』朗唱を観た時。
『夢十夜』は夏目漱石だが、ダンテも、シェイクスピアも、能の型で舞われた。
茶道にも華道にも、およそ「道」とつく芸道には「型」がある。「型」とは不思議なもので、それによって一見「型にはまって」しまいそうだが、型があるからこそ「型破り」もできる。

「型」は見えない「うつわ」のようなものだ。載せられ、運ばれるものは、その風土でかつて暮らしてきた人々同士をつなぎ、今まさに生きている私たちをもつなぐ「美意識」や「情緒」や「物語」であったりする。演じられ、奏でられることで、未だ見ぬ人々に出会う「場」となるのだ。その場に「立つ」のは身体であり、楽であり、風であり、花であり、夢でもある。沈んでいた記憶に出逢うものなのかもしれない。

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